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歴史

2007年3月17日 (土)

キトラ古墳

070317_kitora

これ(↑)は、キトラ古墳。
ときどき壁画の発掘調査・保存の話題で報道される、あのキトラ古墳です。
先日も壁画にカビのような汚れが見つかったと報道がありましたね。

昨秋、奈良県・飛鳥の里で友人とポタリングしていたときのこと。有名なところはまわっておかねばとキトラ古墳に向かって自転車をこいでいくと、コンプレッサーっぽい回転音や空気がダクトを通るようなシュルシュル音が聞こえてきて、顔を上げてみると異様な雰囲気のする建物が目に入ってきます。

「なんだこりゃ?キトラ古墳はどこだ?」とその建物をスルーしようとすると、フェンスに手作り感溢れる“ここがキトラ古墳です”と書かれたプレートがかけてあるのを発見。… … …。しばし言葉を失う友人と僕。コンクリートで周りを固められた小さな工場のような現代建造物…これが古墳なのか!?

思えば、ここに来る前に訪れた高松塚古墳も発掘作業のため工事現場のような姿になっていました。周囲を仮設っぽい屋根とシートで囲まれ、コンクリートで固められた排水・空調設備(?)みたいなものもあります。でも、高松塚古墳の風景からは受けなかった衝撃をキトラ古墳からは受けてしまいました。

友人と僕が受けた印象は同じもので「これってまるで古墳の生命維持装置じゃん…」。貴重な壁画を守るためなのでやむをえないのですが、延命措置を施されている古墳を見るといたたまれない気持ちになってしまいます。発掘調査が終わったら静かに余生を過ごさせてあげたいなどと思ってしまいます。

現実問題それは無理でも、せめてもう少し趣のある建物で蓋ってあげればいいのにと思ってしまうのでありました。

2007年2月 3日 (土)

甘樫丘

070203_amakasi

昨秋訪れた飛鳥は夕暮れ時の甘樫丘(あまかしのおか)。
甘樫丘の上は飛鳥時代に蘇我蝦夷の邸宅があったと伝えられるところです。
飛鳥の里を一望できる素晴らしい展望のこの丘ですが、大化の改新で滅ぼされた蘇我一族の邸宅跡だと思うとなんだか物悲しい気がします。兵どもが夢の跡。

そんな記憶もまだ新鮮なところに「甘樫丘東麓遺跡で、飛鳥時代の石垣や掘っ立て柱建物跡などが新たに見つかった」との記事が昨日の朝日新聞朝刊にあり目が釘付け。
そして同じ日の晩、たたみかけるかのようにNHKスペシャルで「飛鳥発掘が覆す大化の改新」なる特集が組まれていることに気付き思わず見てしまいます。

昔習った「大化の改新」は悪者・蘇我氏をヒーロー・中大兄皇子&中臣鎌足が倒して律令国家の礎を築いたというもの。でも、大人になって冷静に考えてみると蘇我氏が悪政を働いたという具体的内容は伝えられていないことに気付く。蘇我氏って実は悪者じゃないんでは?と思っていたこともあって、この特集には引き込まれてしまいました。

現在伝えられている大化の改新の内容は日本書紀の編集の最終段階で中大兄皇子たちに都合の良いように加筆修正されたものである可能性が高く、蘇我氏は軍事・外交に非常に先進的で熱心に国政に取り組んでいたと考えるのが妥当とのこと。大化の改新は改革派・蘇我氏を保守派・中大兄皇子が倒したクーデターなのではないか…?

洋の東西を問わず歴史書に書かれているのは概ね勝者から見た歴史。でもそこに新しい発掘・発見が加わり歴史の解釈がどんどん変わっていく。だから歴史は面白い。
にわか古代史マニア(?)の僕としては今後の調査・研究の成り行きが気になって仕方ないのでありました。