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九州地方

2005年8月25日 (木)

夏の旅行(4)

(バタバタしていてかなり間延びしちゃった…(^^;;)

【4日目】

前日いろいろと思い考えていたら長崎土産を買い忘れていた!ってわけで長崎を離れる前に文明堂総本店へ。総本店だけあってなかなか趣のあるたたずまい。職場で休暇中のフォローをしてもらっている後輩達へ感謝の意を表してカステラの詰め合わせを買う。

お土産を買ったところで長崎の街を後にして、佐賀県は吉野ヶ里遺跡に行く。初・佐賀県。ここの遺跡は歴史公園として整備されていて家族連れで訪れている人もけっこういる。弥生時代の衣装や日傘を貸し出してくれたり、そばの実の入ったお茶をふるまってくれたり、弥生時代の生活を体験学習できたりとほのぼのいい感じ。ここは遺跡のあったところに保護の盛り土をして、その上に建物や溝を復元して造っているというのがミソ。

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考古学者(というよりインディアナ・ジョーンズ)になりたかった時期があり、遺跡ものはかなり好き。最高に天気が良い中、公園内をじっくり見て周る。おかげでテニスのときより日焼けしてしまった(^^;;。

吉野ヶ里からは別府へ。別府で温泉に入り、フェリー・さんふらわあ号で大阪南港を目指す。フェリーは寝台が取れるとかなり快適。のんびり寝ている間に車と人が目的地へ着くんだから。フェリーの中ではサッカー東アジア選手権をテレビで見る。このフェリーの中にはちゃんと写るテレビが一台しかない(一等寝台とかにはあるけど)。周りに人がいない早い時間帯を狙ってチャンネルを変え、観戦しやすい場所をゲット。

日本×韓国戦が始まると人がわんさか集まってくる。みんなでワイワイ応援した甲斐があって日本勝利!辛うじて最下位を逃れたと思ったら2位だって。4チームしか参加してないから。そういえば去年はアジアカップをフェリーの中で見ていて日本が劇的勝利を収めた。フェリーで見るサッカー日本代表は負け無しだ(まだ2回だけど)。

【5日目】

翌朝、大阪南港に着き、いったん奈良の友人宅へ。47都道府県目の福井県のどこに行こうかと検討。福井といえばやっぱ東尋坊だな。でも、ただ東尋坊に行くのはつまらないから「鯖街道」を通っていくことに決定。鯖街道は若狭で採れた海産物を京都に運んだ古の道。ライダーたちに人気の道らしい。ここからは単独行。

で、東尋坊に到着。ようやく47都道府県踏破成る。嬉しい!でも怖い。高いところ苦手。なのでぎりぎりまで寄って写真撮るときはへっぴり腰だ。東尋坊ってもっと波がバシャーン!って感じだと思っていたらこのときはベタ凪。天気良すぎだぁ。

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帰りがけに加賀の山代温泉の総湯(共同浴場)に立ち寄る。いい湯だなぁ。でも、総湯だけあって石鹸とかシャンプーは備え付けられていないので要お風呂セットだ。

いいお湯をいただいたところで、これから陸路500キロ以上の家路につく。仮眠とりながら歌を大声で歌いながら家に着いたのは翌朝7時頃。

移動が多い旅行だったけど、当初の目的を全部達成できて天候にも恵まれ満足満足!

さて、次はどこに行こうかな(^-^)。

(このシリーズ終わり)

2005年8月19日 (金)

夏の旅行(3)

【3日目-その2-】

同じ長崎県でも長崎市は佐世保からけっこう距離がある。長崎道がグラバー園近くまでトンネルで伸びていてびっくり。超便利。ちなみに、この道は連れの所有する3年前の楽ナビの地図には載っていなかった。

長崎市民の足と言えばやはり路面電車(下の写真)。1回乗車で100円。たくさん本数ある。一日乗車券なら500円だ。市内は渋滞しやすいし、駐車場もさほど多くはないので移動は車でないほうがいい。

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長崎市内に着くと路面電車で大浦天主堂・グラバー園へ。グラバー園へ行くには坂があるけど、足が悪い方でなければ斜行エレベータを使わず表の坂(下の写真)から行くのがお勧め。京都で言えば清水寺に行く途中の通りみたいなもので賑やか。

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国宝・大浦天主堂(下の写真)。洋風建築で唯一の国宝とのこと。今も現役の教会。僕はクリスチャンというわけではないけど、江戸時代に殉教した人々には敬意を表さずにはいられない。

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大浦天主堂からさらに進むとグラバー園。幕末から明治にかけて活躍した坂本竜馬ら志士たちの息吹を感じる。学生時代に訪れた土佐の坂本竜馬の生家近辺の風景が頭をよぎる。

グラバー園から見た長崎市内(下の写真)。川にかかっている橋の向こう側が原爆の爆心地。今年で原爆投下から60年。広島もそうだけど、一度廃墟になった町を半世紀もたたないうちに完全に復興させたのだから祖父母世代の方々には頭が上がらない。

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グラバー園の旧三菱第二ドックハウスに着くと、ボランティアのガイドの方が園内を1時間くらいで案内してくださるとお誘いが。ガイド開始の時間がちょうどいい塩梅なのでお願いをすることに。8名ずつくらい二つのグループに分かれてガイドツアー開始。

まずはスタート地点である旧三菱第二ドックハウスから。「ドックハウスっていっても犬小屋ではないんですよ」なんてちょび駄洒落交じりの説明を聞きながら2階のテラスへ。テラスから長崎の街を見下ろしながら長崎名所の説明を聞く。一通り説明が終わると、爆心地を指して原爆投下時のことを語って下さるガイドの方。

「爆心地はあちらのほうです。

1945年8月9日、アメリカの爆撃機B-29ボックスカーが原爆投下目標だった小倉に向かいましたが曇りだったため投下をあきらめ次の目標である佐世保へ。しかし、この日は天気が悪く燃料も残り少なくなってきたため諦めて基地へ帰還しようとしていました。そのときたまたまぽっかり雲の切れた長崎に原爆を投下したのです。それが11時2分です。私が10歳のときです。

疎開していた学校の友達は爆心地のそばのほうに移っていたため、みんなダメでした。自分は疎開するところがなかったためやむなく元の家にとどまって、そのおかげでたまたま助かりました。

当時、防空壕に避難するなら水が必要だからと、父や近所のおじさんたちと河原に防空壕を作っていました。原爆が投下されたときも防空壕を作っていました。私は防空壕の上で作業をしていたのですが、爆撃機の飛ぶ音がしたため防空壕に隠れようとしました。その瞬間、閃光で目が見えなくなってまわりがどうなっているか分からない状態になりました。防空壕の中に入るよう叫ぶ声に導かれ、目が見えないまま防空壕の入り口あたりに飛び降りました。その直後、爆風で吹き飛ばされて防空壕の中に。運よく大きな怪我はありませんでした。

でも、石を拾って川から上がった直後で手足が濡れていたら熱線で大火傷を負っていたことでしょう。一緒に作業をしていて、蚊に刺された腕につばをつけたおじさんはその部分だけ真っ赤に腫れるほど火傷をしたのですから。そのおじさんは後に原爆症に苦しんで亡くなりました。

もう一人一緒に作業をしていたおじさんがいましたが、火の手の上がった爆心地方面へ消火のために向かいました。それがそのおじさんを見た最後でした…」

話は続き、じっと聞き入る僕たち。原爆は過去のことなどではなく現在のことなのだと強く思い知らされる。「話が横道にそれてしまって申し訳ありません」とガイドの方が話を終える。いや、このお話を聞くことができただけでも長崎に来た甲斐があったというものだ。

ガイドツアーは進み、幕末から明治にかけての邸宅のほうへ。

下の写真は屋根の形が特徴的なグラバー邸。この屋敷を建てたスコットランド生まれのトーマス・ブレーク・グラバーは19歳で上海に入り、21歳で日本にやってきて若くして商売を始めている。すごい行動力、溢れんばかりの起業家精神。しかも坂本竜馬や伊藤博文ら幕末の志士たちを強力にバックアップしたりと日本の大転換期で大きな役割を果たしている。グラバーは幕末の動乱期に艦船や銃火器の輸入販売をした「死の商人」という面もあるんだけどな。

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グラバー商会が破産してからもグラバー本人は三菱の顧問になったりいろいろ要職を務めて日本の政財界に強い影響力を持ち続けたみたい。明治の政財界の中心人物たちとの深い交流があったからだけでなく、ゆるぎない実力があったということでしょう。

ちなみに、息子(日本人とのハーフ)は倉場富三郎。トーマス(あだ名はトミー)・アルバート・グラバーが転じて倉場富三郎。ヤン・ヨーステンが転じて八重洲。似たようなものか。倉場富三郎は私財を投じて魚類図譜を作らせたり国際交流に尽力したけれども、彼は戦時中にスパイ容疑をかけられ、奥さん(彼女も英国人と日本人のハーフ)を亡くし、原爆投下にあい、失意の中で終戦を迎え、終戦の11日後自ら命を絶っている。彼もまた戦争の被害者なのだ。

ガイドツアーのあと、爆心地公園、原爆資料館、平和公園へ。いくら交戦国とはいえこんなひどい爆弾を実際に投下したアメリカって酷い国だと改めて思った。これってイラクに対する過剰な攻撃とダブって仕方がない。佐世保で「アメリカンで開放的な雰囲気」に浸っていた自分って…と思えるくらい。

平和公園に着いたころはもう夕方。8月9日の式典の準備ができていた。

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(つづく)

2005年8月18日 (木)

夏の旅行(2)

【3日目】

せっかく福岡に来ているので、長崎に行く途中に大宰府天満宮(下の写真)に御参り。みんなの思いを乗せた絵馬を見ると受験生時代、特に大学受験の頃を思い出す。ちょっと胸キュン(死語)ものだ。当時、僕はもっぱら湯島天神派(ってなんだ?)で、関東在住の僕にとっては大宰府天満宮は遠い存在だった。まぁ、大宰府行ってるヒマあるなら勉強しとけ、ってことなのだけど。

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大宰府から一気に佐世保を抜けて本土最西端・長崎県小佐々町(こさざまち)へ。相当辺鄙なところ。観光客なんて見当たらない。でも「本土最西端の町」というのがこの町のアイデンティティであるわけで、道々に「本土最西端」を主張する小旗がゆらめく。まことに味わい深い。途中工事中の道を分け入りながら本土最西端・神崎鼻に到達。本土最西端の碑(下の写真)にタッチして記念撮影。でも、碑には何も書いてないなぁ。

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と、碑の下の岩に降りてみる。なんと碑の海側に「日本本土最西端の地」の文字発見!危うく見逃すところだった。危ない危ない。そんなこんなで目的の一つ達成。写真では遠くに黒い雲が見えるけど、僕の真上は晴天も晴天。ピーカンだ。なんせピンポイント晴れ男なもんで。

ちなみに、本土最○端のインパクトの序列は、宗谷岬(北)>>佐多岬(南)>神崎鼻(西)って感じ。宗谷岬は日本最北端であるし「最果ての地」の風情もあって、三つの中で間違いなく一番インパクトがある(下の写真:夜の嵐の後に雲が切れて朝日が見えたところ。このあと快晴に。晴れ男パワー炸裂)。

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佐多岬は本土最南端ムード溢れる風景(下の写真)なのだけど、倒産すれすれ(?)の観光会社か何かの敷地内にあるのでちょっと(かなり)寂しい。

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そして、今回の神崎鼻は本土最西端だけど目の前に島々が並んでいて、正直いって「端」って実感がわきにくかった。でも、間違いなくそこは本土最西端なのだ。

そうこうしてるうちにお腹が空いてきた。朝のニュースで見た「佐世保バーガー」が気になったので、長崎市内に行く前に佐世保へ。僕らが行ったのは米軍佐世保ベース近くの「ログキッド」。お昼までまだ時間があるのにお店の前の駐車スペースは一杯だ。大人気じゃん。

それにしてもこのお店のスペシャルバーガーでかすぎ(下の写真)。後ろのカップは日本のマックでいうところのLサイズだ(この店ではMサイズ)。佐世保バーガーの王様って風格。

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一眼レフ持参の観光客と思しき人が僕を含めて店内に複数人いたので、お隣の席の若い女子2名(後で自衛隊の新人さんだったことが判明)が「今日、何かあるんですか!?」と聞いてきた。いやぁ、何もないっす。ただの(にわか)佐世保バーガー・マニアの観光客っす(^^;;。しばし歓談。

佐世保ベース界隈のアメリカンで開放的な雰囲気を味わい、お腹もいっぱいになったところで一路長崎市内へ。高速でびゅーん、と。

(つづく)

2005年8月13日 (土)

夏の旅行(1)

体調不良や仕事などいろいろありましたが、今年の夏休みも旅行に行ってきました。

今年の夏の旅行のテーマは

  1. 本土最西端到達
  2. 四十七都道府県の踏破完遂(長崎、佐賀、鳥取、福井が旅前の僕の未踏県)

の二つ。

このテーマ設定ってなかなか他の人には理解されない。だって、一般的にあんまり興味そそられるもんじゃないし、移動時間が多大(敢えて車+フェリー移動だから)だし、お金もかかる割には肉体的にかなり辛いんだもん。だから、いつもこの手の旅行の連れは一人の学生時代の親友(バカ仲間)だ。

実は(ってほどのことじゃないけど)、日本最北端=本土最北端(宗谷岬)と本土最南端(佐多岬)に行って本土南北端に行ったぞ!ってことで満足しようとしていたのだが、佐多岬で「四極交流盟約」の立て看板(下の写真)を見つけてしまった。「おおっ!?東西端を忘れてた!なんてこった!」と叫んでその場でしばし立ち尽くす僕と友人の二人(大げさ)。

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じゃあ、ってことで今年の夏はまずは本土最西端に行こう。ついでに行ったことのない都道府県を解消してしまえ、ってことで旅行テーマ決定。連れの友達は沖縄が残ってしまいリーチ止まりになっちゃうんだけど。そんな旅行、学生時代のうちにやっとけよ、って突っ込みは無しね(笑)。

そんなこんなで、

  • 本土最西端・長崎県小佐々町(神崎鼻)+長崎市内ほか
  • 佐賀県のどこか(吉野ヶ里遺跡か嬉野かなぁ。佐賀牛食べたい。)
  • 鳥取県は鳥取砂丘(一度行ってみたかった)
  • 福井県のどこか(旅行しながら決めればいいや)

を旅行の行き先することで決定。

【1日目】

仕事を休むことができず、夜から自宅を車で出発。奈良の友人宅に寄るため夜通し高速を走る。安全第一。疲れたら即休憩。で、翌日3時に友人宅着。朝四時半出発なんだけどぉ…。

深夜の東名・名神高速は積荷満載で遅いトラックが多い。超遅いトラックを遅いトラックが抜かそうとして追い越し車線に入ってくる。だから、追い越し車線を走っていても意外とスピードが出ない。遅いトラックを追い越し車線に入れないためには車間距離を相当詰めないといけない。でも怖いので僕は詰めきれず、僕の前には遅いトラックがガンガン入ってくる。後ろの人たちゴメンナサイ。

【2日目】

朝四時半、陸路車で九州に向かって出発。睡眠時間1時間半弱。この日の運転は前半はほとんど友人にお任せ。僕は爆睡して休憩して後半の運転に備えるのだ。

九州に行く途中(とっても全然途中経路にないけど)鳥取砂丘(下の写真)へ寄る。

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思ったよりも砂丘の範囲は狭いかな、というのが第一印象。砂丘のピークには人が一杯。おまけに家族にインタビューしているNHKの取材陣もいた。それにしても天気が良くって風も全然ない(めちゃ暑い)。風があると風紋ができて幻想的な砂丘になるそうなのでちょっと残念。とは言え、日本でこれだけの砂丘は他にないから貴重。でも、ラクダはやり過ぎだろラクダは。ちょっと乗りたかったけど(^-^)ゞ。

鳥取から九州に行くために中国自動車道を使う。この道、すごく閑散としている。山陽道と合流する下関あたりまで交通量はごくごくわずか。主要都市に出るまで別の高速(岡山道とか)使わないといけないのだから無理もない。バイパスし過ぎ。これでは採算合わないだろな。運転は快適といえば快適なんだけど。

そうこうしているうちに夕方博多に到着。なんだかすごい雨が降ったみたいで高速は速度規制有り。僕等が着いたときは夕焼けが出ていたけど。晴れ男だから。で、友達が出張のときに食べておいしかったというお店で夕食。ヤリイカの活け造りがうまい!焼酎もうまい!って感じで博多の夜は更けていくのでした…。

(つづく)